【歴史】ビジネス教養 〈明治新政府〉

歴史

どうもanjinです!

本日のテーマは、歴史分野の『明治新政府』についてです。大政奉還、王政復古の大号令にて江戸幕府が終わり、明治時代が始まります。明治時代のスタートは『版籍奉還』『廃藩置県』『地租改正』の3つが基本的な当初の改革になります。下記でこの3つについて解説していきます。

 

【明治新政府の流れ】

版籍奉還〜地租改正までは下記の流れになります。

  • 1868年:明治新政府開始(五ヶ条の御誓文)
  • 1869年:版籍奉還
  • 1871年:廃藩置県
  • 1873年:地租改正

 

〈1868年:明治新政府開始〉

戊辰戦争勃発。新政府VS旧幕府の戦いにより、新政府が勝利します。

旧幕府の没収地は、「県」「府」という呼び名で新政府の直轄領になった。

〈1869年:版籍奉還〉

藩の所領を新政府に返上させました。

しかし、新政府から任命された地方長官(知藩事)として藩主が旧藩領を支配し続けたため、版籍奉還は不完全に終わる。

〈1871年:廃藩置県〉

藩を廃止して、その代わりに新政府直轄領の「県」を置きました。

名実ともに全国が新政府直轄領となります。

〈1873年:地租改正〉

藩の消滅により、新政府は全国の人々から直接税金を徴収できるようになります

これに対応する新たな税制度のため、地租改正が実施されます。

 

【版籍奉還について】

版籍奉還とは、全国の藩が所有していた土地と人民を朝廷に返還させた政策で、明治維新の一環として行われました。

」は土地を、「」は人民をそれぞれ表しています。

これにより、旧藩主はその土地の知藩事に任命され、彼らは公家とともに華族に列せられました。

版籍奉還は、江戸時代の幕藩体制が崩壊したことの要請により行われたと言えます。

徳川幕府が倒れたということは、藩は領地の所有を認めてくれる存在を失い、領地所有の法的正当性がなくなったということです。

また、戊辰戦争において藩主たちは指導力を発揮することができず、その権威を落としていました。

こうして藩全体の権力が低下したことで農民一揆が相次ぎ、多くの藩は財政難に悩まされることとなります。

幕府と藩の主従関係が切れたことによる土地所有の不正確さやこうした財政難を解決するために、版籍奉還は行われたと言えるのです。

 

 

【廃藩置県について】

1871年、政府は東京にいる知藩事(元藩主)を皇居に集め、重大な発表をおこないます。

全国の藩を廃止して、中央が管理する県と府に置き換える廃藩置県」が発令されたのです。これは版籍奉還に続き、明治政府の中央集権化という方針をはっきりと示したものでした。

しかし反発は版籍奉還以上のものが予想されました。重要な関係各所への根回しを徹底するも、各藩には直前まで隠していたといいます。

特に薩摩藩の島津久光は廃藩には反対だったため、西郷隆盛と大久保利通は彼に直前まで計画を知らせず、また最悪の事態を考え軍備もしながら実行の日を迎えました。久光は悔しさのあまり、大量の花火を打ち上げたという逸話が残っています。

話を戻して、この頃の明治政府の実情は、実際の政治や政策は明治政府がおこなっていても、絶対的な命令の部分では天皇の力に頼らざるを得ない状態でした。

政府が目指すのは「政府による中央集権」だったので、藩の制度を廃止することは、新しい国づくりに欠かせないものだったのです。

知藩事たちは全員失職させられましたが、そのかわりに貴族階級をつくり、元藩主の家系は新しい身分層である「華族」になっていきます。そして知藩事に代わる存在として、中央政府から「知事」が派遣されました。

【地租改正について】

江戸時代の「田租」や「貢租」は、「収穫量」を課税の標準とし、生産者の農民は「物納」していました。

この制度の場合、農作物の豊凶や価格相場の変動によって、税収が大きく変わります。税収の見込みが立たなければ、長期的な予算案の作成もできません。これは近代国家の運営にとっては大きな障害です。

地租改正」が実施された最大の理由は、この障害を取り除くこと、つまり「税収の安定」でした

そのために、課税基準を従来の「収穫量」から、収穫力に応じて決められた「地価」へと変更。「物納」ではなく「金納」にしました。これまで政府が負っていた価格変動リスクを農民に転嫁する仕組みです。

また「田租」「貢租」では、毎年その年の収穫量に応じて地方役人が税率を決めていましたが、税の軽減を求めて賄賂が横行するなど不正の温床になっていました。「地租改正」以降は、税率を「地価の3%」と一定にしたため、不正が入り込む余地は無くなります。さらに従来は対象外となっていた商工業者や寺社領も税を納めなければいけなくなり、透明性と公平性を向上させる効果もありました。

後述する「地券」の発行で、古代から続いてきた「土地は天皇の物であり、臣民はその使用を許されているに過ぎない」とする「公地公民思想」が完全に崩壊し、個人による土地所有が認められた点も、日本の近代化において大きな出来事でしょう。

また税金が一定の金額になったため、収穫量が増えれば農民の取り分が増えます。さらに江戸時代には禁止されていた「作物選択の自由」も認められ、農民がより儲かりそうな作物、より収穫が増えるような栽培方法を模索するきっかけにもなり、生産性が向上するという効果もありました。



【まとめ】

版籍奉還』と『廃藩置県』で近代的中央集権体制が確立しました。そして、『地租改正』により、江戸時代の封建的土地制度を解体して、近代的税制を確立しました。

地租改正反対一揆も起きて様々な問題も起こりましたが、上記3つの改革により、明治政府の目的である『万国対峙して近代的統一国家を実現』に向けて進展することになりました。

 

【参考書籍】


明治維新史 自力工業化の奇跡 (講談社学術文庫)

 

以上が本日のテーマになります。ご覧頂き、ありがとうございました!

 

 

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