【歴史】ビジネス教養 〈一揆〉について

どうもanjinです!

今日は歴史テーマで室町時代〜江戸時代あたりにかけて発生した〈一揆〉ついて取り上げたいと思います。宜しくお願いします!

【一揆とは】

一揆とは、本来的な意味は『一致協力』を指します。何らかの理由により目的を達成しようとする集団が、行動を一つにして支配体制に対して行う抵抗運動のことです。一揆には色々な種類がありますが、発生した時代、一揆を起こした集団の違いにより名称が異なってきます。

【一揆の種類】

一揆の種類は、主に下記4分類されます。

土一揆

時代:室町時代

実行者:農民や商人等の土着民

国一揆

時代:室町時代

実行者:国人(地侍)と土着農民

一向一揆

時代:室町時代〜戦国時代

実行者:浄土真宗の信仰者(武士や農民)

百姓一揆

時代:江戸時代末期〜明治時代初期

実行者:困窮した百姓が中心

【土一揆について】

主に室町時代に発生し、農民や商人等の土着民が、荘園領主や守護大名、そして幕府に対して政治的要求を行っていきました。最も有名な一揆が、正長の土一揆です。正長元年(1429年)に勃発、農民がはじめて起こした一揆とされています。当時、4代将軍足利義持の死去により政局が不安定となり、同時に飢饉と流行病も広まったので、大津の馬借が徳政令を求めて一揆を起こしました。結果的に幕府からの徳政令は出されませんでしたが、借金の証文破棄により、徳政令と同様の法的効果を持つことになりました。

【国一揆について】

主に室町時代に発生し、幕府に仕えていなく地元に勢力を持った国人と呼ばれる地侍たちと農民が起こした一揆です。最も有名な一揆が、山城の国一揆です。文明17年(1485年)に山城国の南部で勃発。当時、応仁の乱が終結してからも各地で小競り合いが続いており、山城国の南山城も例外ではなく、畠山政長と畠山義就が合戦を続けていました。こうした状況から地元の名主とも言うべき国人が農民とともに集会を開き、両軍を撤退させて自分たちで国を支配することを決定し、それらを掟法として定めます。以後、山城国は守護不在のまま8年間、「三十六人衆」という国人らが支配することになりました。

【一向一揆について】

主に室町時代〜戦国時代にかけて発生し、対抗相手は幕府と守護大名であり、浄土真宗が絡んでいる宗教主体の一揆です。代表的な一揆が加賀の一向一揆です。1488年に加賀の守護大名『富樫政親』が浄土真宗を弾圧したため、約20万人もの浄土真宗門徒が立ち上がりました。この当時、北陸地方に浄土真宗を広めたのは、蓮如の活躍がありました。この勝利をきっかけに、以後100年間にわたって、加賀は浄土真宗門徒が支配する国となりました。

【百姓一揆について】

主に江戸時代末期から明治時代初期にかけて発生し、大規模なものから小規模なものまで、種類が様々ありました。百姓一揆が起きた背景は、四大飢饉や本百姓の分解が起こり、百姓の不満が限界に達したことによります。有名な百姓一揆に大塩平八郎の乱があります。1837年に大坂町奉行所の元与力だった大塩平八郎が大坂で起こした反乱のことです。天保の飢饉に苦しむ人々を町奉行所が救わないことを批判し、大坂市内の豪商の屋敷などを襲撃しましたが、裏切り者がいたため、わずか1日で乱は鎮圧されました。

以上が今日のテーマになります。ご覧頂き、ありがとうごさいました!

コメント

タイトルとURLをコピーしました