【歴史】ビジネス教養〈日露戦争〉〜なぜ大国と戦ったのか〜

歴史

どうもanjinです!

今日は歴史分野において『日露戦争』を解説します。前回の日清戦争から10年後の出来事です。

小さな島国の日本が圧倒的優勢とみられていた大国ロシアに戦いを挑みます。

なぜ、そんな無謀とも思われる戦争をするこにとなったのか解説していきます。

 

【日露戦争とは】

日露戦争とは、1904年(明治37年)から1905年(明治38年)に渡って日本とロシアとの間で行われた戦争のことです。

当時ロシアは日本に対して三国干渉や朝鮮へと影響力などを強めており、日本は朝鮮半島と満州の権益を守るためロシアへの攻撃を決定しました。

日露戦争の主な戦争は旅順攻略戦、奉天会戦、日本海海戦がありましたが、次第に日本とロシアは互いに戦争継続が困難となり、1905年のポーツマス条約により戦争は終結しました。

この戦争によって日本は世界から列強と認められるようになりました。

 

【日露戦争が起こった原因】

1895年4月、日本と清国の間で、日清戦争の講和条約である下関条約が結ばれました。その内容のひとつに、遼東半島を日本に割譲するというものがありました。

しかしこの遼東半島の割譲は南下政策をとるロシアを刺激し、ロシアがフランスとドイツをさそって、同半島の返還を日本に要求してきます。この三国干渉に対し、国力に劣る日本政府は返還に応じるほかありませんでした。

その後日本は、朝鮮半島問題についての譲歩を期待して、ロシアへの協調に腐心します。しかし、清で起きた「義和団事件」の混乱を鎮圧するためにロシアが軍隊を派遣し、そのまま満州を占領する事態になりました。

ロシアが満州を支配することは日本の朝鮮半島における権益を脅かします。日本は、同じく自国のアジア政策に不利となるイギリスと同盟を締結し、開戦準備を進めました。

《南下政策》

南下政策」とはロシアが取っていた南へ南へと領土を拡大していく政策のことです。簡単に言えば、南への領土拡大のための侵略のことです。

ロシアの狙いは冬でも凍らない「不凍港を手に入れることでした。

以前から南方への進出を狙い、不凍港を手に入れようとしたロシアは地中海へ出ようとして、当時のオスマン帝国(トルコ)と何度も戦争をしてきた歴史があります。

それが露土戦争クリミア戦争であり、1853年~1856年のクリミア戦争ではイギリス、フランスの支援により、オスマン帝国が勝利をしています。

このような結果から地中海方面への進出を断念し、当時はヨーロッパ諸国が手薄であった清の地域一帯である東へとロシアは徐々に進出していきます。

後の1860年の北京条約により、清から満洲の一部の領土得て、遂に日本海に隣接する極東地域の不凍港を手に入れます。

この不凍港の名前を「東を征服せよ」という意味であるウラジオストクと名付けています。

《三国干渉》

三国干渉とはロシアがフランスとドイツを誘い、日本に対して遼東半島清に返すように勧告したことです。なんとこれは、下関条約を結んで6日後の出来事です。

当時の列強の国であるロシア、フランス、ドイツまで混じって圧力を受けたことで、国力の無い日本はしぶしぶこの要求を呑むしかありませんでした。

三国からは、「極東の平和のためだ」などと日本に言ってきて、それぞれの国は清の領土一帯を狙っていたことは確かです。

現に「三国干渉」後のイギリス、フランス、ロシア、ドイツといった列強国は清の各地を租借しては勢力を拡大しています。

ロシアはこの時、「三国干渉」で清に返させた遼東半島中の旅順大連を租借し、旅順には軍港を築いています

 

《義和団の乱》

義和団の乱」とは、清国内の「義和団」といわれる宗教団体が外国勢力を追い払おうと行った民衆蜂起運動のことです。別名では「義和団事件」「北清事変」とも呼ばれます。

ヨーロッパの列強国に散々のようにやられてきた清国内の民衆の不満は溜まり、主に反キリストなどを掲げ、北京をすぐさま占領します。キリスト教の教会や各国の公使館を襲撃したり、日本とドイツの外交官を殺害するなどの大事件に発展していきます。

当時の清朝政府で実権を持っていた「西太后」は、なんとこの「義和団」を密かに後押しをしていました。そして正式にこの「義和団」を支持し、欧米列国に宣戦布告をしてしまいます。

この「義和団」鎮圧のために、イギリス、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オーストリア=ハンガリー、イタリア、日本の8ヵ国連は軍を北京に派遣します。

「義和団」の鎮圧後、清は更に過酷な内容である北京議定書を受け入れることになってしまい、列強国による清の分割統治は更に加速することになりました。

北京議定書の内容はここでは省略するものの、主な内容は各国への多額の賠償を背負うことになり、北京と天津(どちらも隣接している中国の北東部)に外国軍隊の駐屯を認めることになります。

後に清は財政破綻していき、長い歴史を持った「清王朝」は滅亡へと向かっていきます。

 

 

【日露戦争の流れ】

 

  1. 日露戦争の開始と仁川沖海戦
  2. 旅順攻略戦
  3. 奉天会戦
  4. 日本海海戦

① 日露戦争の開始と仁川沖海戦

仁川沖海戦は、日露戦争における最初の戦いです。

仁川とは、ソウルの西の約50kmに位置する港で、日本軍はここに陸軍部隊を上陸させるため、仁川港にいたロシア艦隊を撃滅する必要がありました。

この戦いはわずか30分のうちに、日本側が一人の死傷者を出すこともなく、港にいたロシア小艦隊2隻を自沈に追い込み、勝利します。

② 旅順攻略戦

旅順攻略戦とは、陸軍に大きな被害を出しながらも、極東ロシア軍の最重要拠点を陥落させた戦いです。

旅順港に停泊する艦隊をせん滅させ、旅順をおとすことは、中国大陸への輸送路確保の点から最重要とされました。

しかし難攻不落の旅順要塞に、乃木希典が指揮する陸軍第3軍は苦戦を強いられ、日本軍は3度にわたる総攻撃で、戦死者・負傷者あわせ5万9400人という、投入された兵力の約半数を失います

死闘を繰り広げ二〇三高地を攻略すると、そこからロシア艦隊を砲撃し、壊滅させることに成功しました。

③ 奉天会戦

奉天会戦は、日露戦争最大の陸戦です。

奉天(現在の瀋陽)を中心とする全長100kmに及ぶ戦線で、日露合わせて56万人もの陸上部隊が激突しました。

日本軍は集められるだけの兵力、もてる兵器のすべてを投入し、甚大な被害を出しながらも、交通の要衝地である奉天を占領。

これにより満州における地上作戦は、終止符が打たれました

④ 日本海海戦

日本海海戦は日露戦争最大の海戦で、東郷平八郎率いる連合艦隊が、当時世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊と戦い、完全勝利をおさめました。

バルチック艦隊とは、北ヨーロッパのバルト海に駐留していたロシア艦隊で、半年もの航海を経て派遣されました。

日露の戦力はほぼ互角でしたが、長い航海で疲弊していたロシア軍に対し、充分な整備、徹底的な訓練を終え、高い戦闘意欲を持ち合わせていた日本海軍は、わずか30分で、39隻あったロシアの艦隊のうち27隻を沈没、もしくは降伏させ、勝利しました。

 

【日露戦争の結末】

 

日露戦争終了後、日本とロシアの間でポーツマス条約を締結しました。そして、それぞれの国の国内情勢も変化していきます。

ポーツマス条約の締結

日露戦争の中で起きた戦い、そしてバルチック艦隊まで敗北したロシアは、もはやこれ以上戦争を継続することが困難になりました。一方、勝利を重ねた日本も戦争の継続は正直難しく、なぜなら日露戦争で既に当時の国家予算30年分に相当する費用がかかっていたからです。

そんな両国の状況を知ったアメリカのルーズベルト大統領は講和の仲介に入ります。それは1905年のこと、アメリカのポーツマスと呼ばれる場所で日本とロシアとの間にポーツマス条約を結び、両国は講和に至ったのでした。条約に調印したのは日本側が外務大臣の小村寿太郎、ロシア側はセルゲイ・ヴィッテです。

条約の内容は「韓国を日本の影響下にすることをロシアは認める」、「旅順港を日本の租借地とする」、「南樺太を日本の領土として、オホーツク海における漁業権を認める」など、いずれも日本側に有利なものでした。それもそのはず、仲介が入ったことで戦争の結果としては引き分けなものの、戦い自体は完全に日本が勝っていたからです。

日本とロシアの国内情勢

日露戦争で実質ロシアに勝利した日本、その実力は世界で認められ、アジア唯一の列強国として位置付けられるようになります。そして、1911年にはアメリカとの間で関税自主権が回復、さらには将来の国際連盟にて常任理事国の一つとなるほど成長しました。

戦争にかかった莫大な費用の賠償金がロシアから支払われなかったことに国民は怒りを見せますが、それは政府に責任があるわけではなく、ポーツマス条約に従ってのことです。とは言え、日本ではポーツマス条約に反対する人々が日比谷焼打事件と呼ばれる暴動を起こす事態となってしまいました。

アジア唯一の列強と呼ばれるようになった日本。ヨーロッパの植民地となっていたアジアの国々の中で日本が輝きを見せるようになる一方で、日露戦争で実質敗北したロシアは国内で大混乱を招いてしまい、やがてそれがロシア革命へとつながっていくことになるのでした。



【まとめ】

 

アジアの小国と思われていた日本が、大国ロシアとの戦争に勝利したことは、当時の世界情勢では考えることができないことでした。

この勝利は、日本の歴史はもちろん、世界の歴史にも大きな影響をもたらしたのです。

 

【参考書籍】

 

以上が本日のテーマになります。ご覧頂き、ありがとうございました!

 

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